笑える犬の生活
やくみつるを起用する週刊プレイボーイの野球記事に語るべきことなど何も
ないのだが、相変わらず江本と金村がオレ竜に中身のない批判的コメントを
並べるのを見ると、彼らがどんな怨恨を抱いているのかなと想像だけは広がる。
で、金村義明先生の新刊「プロ野球勝てる監督負けるボス」である。
現在の12球団監督の指揮力分析と、過去に自分が関わった監督の実像、
そして将来の監督と目されている現役選手のリーダーシップについて書いた
彼なりの「監督論」という。
類書との違いは、現12球団監督の記述について、割かれたスペースが大きく
異なることだ。全球団分析をやるときはたいてい同じページ数を割くようになる。
「分析」ですから、特定の球団に肩入れしても何だし、ということで。
しかし、本書は阪神・岡田監督が13ページを割り当てる一方、その次に
ページ数が多いのはダイエー・王監督の7ページだから、いかに阪神の扱いが
突出しているかがわかる。日ハム・ヒルマン監督に至ってはわずか2ページ。
あまり興味がないようだ。ちなみに落合監督は5ページである。
これは過去の監督編でも同様で、星野仙一一人に25ページも費やしている。
その次に多いのが仰木彬の8ページ、長島茂雄などの5ページ。
著者の視線がどこに向いているかが、ここに現れている。
まだ未知数の岡田監督にそれほど語る材料があるのかと思って読むと、頁の
多くが著者自身との交遊ぶりとヨイショに費やされている。いや、交遊やヨイショを
書いてもいいのだが、エピソード自体があまり面白くないのと、そこから先に
あまり話が広がらないので読んでいて鼻白む。金村の交遊録などどうでもいい。
一応、分析らしき部分もあるが、主に雰囲気や結束といった抽象的な話が多く、
精緻な戦力分析などは見られない。「論」を名乗るには大ざっぱ過ぎると思う。
星野仙一の項についても同様の傾向だ。
二人への下手くそなラブレターを見せられているように思える。
一方、落合監督については「落合さんほど監督に向かない人はいない」と手厳しい。
その根拠は「徹底的な個人主義者だから」という。
一塁ベース上で「名古屋のマンションを買え」と言われたエピソードを挙げて「金の
亡者か」と失望したと人間性の問題を指摘。さらに鈴木孝政の「ヘッド」の肩書きを
はずしたことから「コーチへの接し方もおかしい」とし、横浜の臨時打撃コーチの結果、
「言い切り癖」などを挙げて優勝宣言の「信憑性には疑問符がつく」と断じる。
あとがきでも「オレ流を通した人間は、二軍選手を含めたすべての人間の気持ちが
絶対にわからない。いやわかろうともしないだろう」と再度批判している。
この落合へのマグマはどこから湧き出ているのかな、という視点で読んでいくと
「岡田さんが会長を務めた時代の労組選手会に『オレは入らない(中略)』とまで
言っていた人が、いざFA権を勝ち取った途端(中略)権利を行使して移籍した」
「中日ナインの間に大きな影響力を残す『星野流』を完全否定するところから
スタートした『落合流』だが(中略)どうにも先のビジョンが見えにくい」
といった記述が手がかりになりそうだ。
要するに、大事な大事な岡田さんや星野さんの敵、というわけだ。評論や分析
ではなく、個人の「好き・嫌い」「敵・味方」を彼は語っているのである。
つまりどうでもいい本ではあるのだが、一つ見逃せない点がある。
「就任直後の秋季キャンプでは『この時期は教えるな』という珍指令」
との記述があるが、本当は「選手が求めてくるまで教えるな」と言ったのであり、
要はこちらから押し付けるな、自分で考えさせろというのが本意だったはず。
その頃のスポーツ新聞を読んでいた人なら、誰でも知っていることだろう。
それを野球評論で食っている人間が知らないはずはない。ということは、これは
事実のわい曲である。モノ書いて食っている人間が一番やってはいけないことだ。
本書には、この手のためにする危うい記述がいくつか見られる。
バラエティで裏話を披露して笑いを取っているだけならいいが、まかり間違って
こういう人に発言力を持たせるようになってはいけない。
本人は発言力をつけて、いずれどこかの監督になるつもりらしいから。
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