「内側」≠「当事者」
最近、やけにこんな場末のblogに訪問者が増えたと思ったら
『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(城繁幸著 光文社)
関連で検索して来ている人が多いのだった。
「富士通」に「成果主義の崩壊」、きっと興味のある人が多いんでしょう。
せっかく来てくれた人に本のスタイルを批判した前回の書評ではなんなので、
読みにくさを我慢しつつ、改めて流し読みしてみた。
本来の目的通りに機能しない目標管理制度、横暴な権力装置としての人事部及び
人事官僚の専横と腐敗、無能な経営陣…。本書ではこれらが社内総無責任体制を
生み出し、優秀な若い人材ほど流出していく様子が手際よく描かれている。
その意味で、成果主義失敗のケーススタディとしての価値はある。
でも、残念ながらそれだけだ。
読後に残るのは「ふ~ん」という、事態の深刻さと比べるとあまりに軽い
印象なのである。
読後感のインパクトの薄さはおそらく、著者がいわゆる「社内評論家」的な
スタンスに立っていることが原因である。
本書を読む限り、著者自身が人事部に所属していた当時、現実の場面で改善の
糸口を探る努力をした様子はうかがえず、現在においても自分が悪しき制度の
運用に従事していたことへの自省もみられない。事実は知らないが、これでは
あなたは結局、自分が批判している対象と同じ穴のムジナじゃないの、と
読者に思われてもしかたがない。
ある大会社が倒産し、社内で切れ者とされた管理職が某新進企業の採用に
応募したときのことである。
優秀な彼は人事、役員面接を楽々パスし、最後に社長面接に臨んだ。
「なぜ、あなたの会社は倒産したんですか?」
社長にそう聞かれた彼は、世界経済情勢の分析からはじまって、市場動向、
経営戦略などの観点から、実に見事な解説を行ったという。しかし、社長は
「でも、会社が潰れたのは、ぼくはあなたのせいだと思うんだよね」
そう言って採用することをしなかった。自分とその会社(の倒産)との関わりに
ついて語られることがなかったからだ。
要は、いくら頭が良くても当事者意識のない奴はいらない、というわけである。
本書を読み終えたとき、そんな逸話を思い出した。
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