ぼくがニートだった頃
ぼくがニートだった頃、一番困ったのはどこにも居場所がなかったことだ。
お金なんてあるわけないから、親に甘えて実家に置いてもらっていたが、
何も言わないけど確実にこちらを凝視している周囲の目がきつかった。
それでとりあえず毎日家を出るのだが、行くあてはどこにもない。
しょうがないから図書館行って本でも読むか、天気のいい日は多摩川の河原で
ビールを飲んで昼寝でもするしかなかった。
はたから見たら、いい年こいてぶらぶらしやがってと思われただろうけど、
本人は見た目ほど気楽ではなかった。
社会に出た友人たちは忙しく働き、収入格差もあるから気軽に声をかける
ことができなくなり、何となく疎遠になっていく。新しい仲間ができる機会なんて
あるわけもない。そうやって物理的だけじゃなく、精神的にも社会的にも
自分の居場所がじわりじわりと狭まっていく感じにはかなり参った。
「ニート―フリーターでもなく失業者でもなく」(玄田有史 曲沼美恵)は
その辺りの当事者の焦燥感にも焦点を当てている点が新鮮に感じられた。
本書は玄田氏による各種データに基づいたニートの分析と、曲沼氏による
ニートである数人の個人のレポート、そして有力なニート予防策と考え
られる、すべての14歳に1週間にわたる職場体験を行わせている神戸と
富山の事例レポート、両著者の見解へと続く。
なぜ、中学二年生のときに濃密な職場体験を行うことがニート予防策に
なるのか。それは「志望する職業を確立する」といったことではなく、
世の中でなんとかやっていけるというささやかな自信を付けたり、
夢の職業でなくても働くことは意外と面白いものだと感じたり、社会との
かかわりを持つ術を身につけたりすることが重要だからという。
ニートなる若者に共通する特徴は「孤立した人間関係」や「自分に対する
自信の欠如」「中学・高校時代からの状況の継続」なのである。
ニートというと、やはり「働く意欲のなさ」という文脈でとらえられ、
その甘さを批判されることが多いわけだが、著者が率直に記しているように、
この問題の根本的な理由はまだよくわからないけれど、少なくともそうした
表層的な認識では解決できないことが本書を読むとよくわかる。
とくに街ぐるみで実施している、中学二年生の1週間にわたる職場体験の
取り組みのレポートは興味深い。こうした取り組みが「居場所」を失う人を
減らせるかどうか、ぼくもウォッチしていきたいと思う。
ただ、ニート当事者への取材はもっと人数を多くした方がよかった。
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