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2005.05.12

盗用の神秘@TBS

TBSがまたやらかしてくれたようだ。

TBSのHP、読売夕刊コラム盗用(読売新聞)

この第一報では「TBSの説明によると、執筆は3人の外部ライターに委託しており、更新は不定期。問題のコラムは、30代の男性フリーライターが執筆したが、同社は盗用が確認されたため契約を打ち切った」とある。
だが、この連載のタイトルは「編集長コラム『DUGOUT』」。おいおい、編集長コラムを外注していたのか? と思ったらやはりごまかしがあった。

TBSのコラム盗用、執筆は部長(読売新聞)

この部長はフリーライターに対し「君が執筆したことにしてくれ」と依頼し、罪を被せて逃げ切ろうとしたようだ。編集長(笑)の行為の悪質性は指摘するまでもない。TBSの組織的な問題もいろいろありそうだ。
だが、そういう話は今回は置いて、おいらが気になったのは「30代の男性フリーライター」氏が部長の“依頼”に対しどう返答したのか、という点である。当初「盗用が確認されたため契約を打ち切った」と報道されたのをみると、もしかしたら身代わりになることをOKしちゃったんだろうか。

フリーでライター稼業をしていると、件の部長ほどではないにせよ、理不尽な要求をしてくる馬鹿がたまにいる。たとえば、取材ついでに写真もたくさん撮って来い、ギャラは払わないけれど、というような。編集者が同行できないときに、取材相手の顔写真を撮影するぐらいならいいんすよ、ついでの範囲だから。でもね、周辺取材だからと説明し本取材とは別枠の時間を用意させておきながら、いざ行ってみたら写真撮影だけで終了なんてだまし討ちみたいなことをする奴もいるんだな。ライターをカメラマン代わりにタダ働きさせて平気でいやがる。こういう奴とはさっさと縁を切るに限る。

ただ、明らかに理不尽なケースはよいのだが、グレーゾーンの要求だと対処に迷うこともある。下手に断って顧客を一件失うのは正直痛いものだ。でも、こういう要求が多い手合いはこちらを「業務のパートナー」や「付加価値の創造者」としてではなく単なる便利屋として見ているから、よい成果は望めないし、遅かれ早かれ決別することになる。
ライターに限らずフリーで働くと、嫌でもこの手の問題と向き合わざるを得ない。どうしたって金を払う側のほうが立場は強くなりがちだし、世の中はルールを守る人だけで構成されているわけじゃないから。
そんなストレスから脱出するには結局、余人を持っては代えがたい存在になるしかない。自分が断ったら、他に頼むあてなどないような仕事っぷり。そこにフリーランスとして成功するかどうかのカギがあるのだと思う。

で、「30代のフリーライター」氏は、果たしてどんな仕事をしていたのだろうか。

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2005.05.04

「森山周一郎 ドラゴンズ」で検索して来る人が増えている件

こちらへどうぞ。

※参考
NHKに抗議240件、森山周一郎発言で

(追記)
上記リンクはマスドラ会bbsでしたが、どうやら閉鎖されたよーです。

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2005.05.01

常任理事国(笑)

あれだけヒステリックに日本の責任だと政府要人が口角泡飛ばしていた中国の反日デモ騒ぎだが、一気に目立った動きがなくなったのは苦笑するしかない。やっぱり、きちんと統制できるんじゃないっすか。
それにしても、まともな情報を与えられていない、幼稚な顔の兄ちゃんたちが馬鹿騒ぎに酔い痴れるのはともかく、国家のトップ層まで児戯じみた挑発発言をしたり、デモでの暴力沙汰を容認したりした背景がどうもよくわからない。いや、いろいろな解説はすでに出されているけれど、一定水準の経済成長の維持が死活問題の局面で、日本と正面切ってケンカするのは得策ではないし、北京オリンピックを控えてあんな騒ぎを容認すれば国際的な評判が地に落ちる可能性ぐらい、まともな為政者なら考慮するんじゃないのかなぁと思いつつ、たまたま本屋で見かけた「中国はなぜ『反日』になったか」清水美和著 文春新書)を購入。これがなかなかのグッジョブだった。

本書によれば、中国が「反日」を鮮明にしたのはこの10数年、江沢民が実権を握って以降のことだという。その背景には天安門事件で得た「教訓」に源を発する愛国主義教育の徹底や、政治基盤の脆弱な江沢民が権威を確立するため対外的に強硬姿勢を取る必要があったこと、マスコミや電脳空間で「反日」が増幅され、それがまた政策に跳ね返るメカニズムがあることなどがコンパクトにまとめられている。「靖国」問題への反発は、単に歴史問題だけではなく「面子」問題や日本側の戦略レスが絡んでいるといった指摘も参考になる。

本書は最近の事象だけではなく戦後から現在に至る日中外交史がカバーされており、毛沢東や鄧小平がいかなる戦略に基づいて日中友好を演出する一方、戦争の当事者だった人々の反日感情を抑えていたのかの解説は読み応えがある。「友好」とは奇麗事だけではないのねん。歴史的評価はともかく、毛沢東や鄧小平の傑物ぶりに比べると、日本の政治家はいかにもスケールが小さく、視野も狭かったと感じさせられる。
また、中国の政治家にとって「親日」が致命傷になりかねないという事実は、中国の動向を見る上で、ぼくらはぜひ頭に留めておくべきだろう。若者の乱痴気騒ぎをたしなめるのさえ、政治生命を失いかねないリスクになるわけだ。
中国の対日政策の背景と歴史的経緯を知る上で、本書は格好のテキストになろう。

ただ、平成15年に出版された本書は終章で「中国が近い将来、党・政府として再び90年代半ばのような『愛国』キャンペーンに乗り出す可能性は極めて低い」と予測しているが、残念ながら現状は周知の通りである。
予測がはずれた要因を考えると、江沢民に連なる魑魅魍魎が跋扈しているのかなとか、日本の常任理事国入り問題とか、台湾問題とか色々あるのだろうけれど、根本的には資本主義導入で共産党政府が一党独裁制を敷いている根拠が薄まった現在、反日ぐらいしか自党の存在理由を強調できない点にありそうだ(これはどこかで見かけた見解なのだけど、出所を失念してしまった…)。
いずれにせよ、チベット弾圧など今なお時代錯誤的な統制を行っている国連常任理事国(笑)である。日本側が主張すべきことを主張し、まともに対応すればするほど色んなボロが出てくる。生暖かく見守るのが吉だろう。

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