知は獲得するものなのか?
インタビューして記事を書く、というライターの仕事はとても楽しいが、そこで満足していると聞き書きしかできないアタマになって、デキの悪いルポしか書けなくなる。聞いた話を再現するだけでなく、そこからいかにして新しい発見なり知を生み出していくかが重要なわけだ。
そんなわけで最近は大学院の授業の助けを借りて、知識創造に関する本を集めて読んでいる。その中で、もっと早く読んどきゃよかったなぁと心底思ったのがこれ。
高根正昭 講談社現代新書
「科学における知的生産のための基本的なルールを、常識として、手に入れる必要があるのではないか。おして大学教育においても既成の知識の獲得よりは、むしろ新しい知識を生み出す方法の訓練に、重点を置かなくてはならないのではないか」
本書は既成の知識の獲得ではなく、新しい知識を生み出すために必要な方法論について、安保反対運動で挫折した後、米国へ渡り社会学の研究方法を学んだ著者自身の経験を織り交ぜながら解説したものだ。
問題の設定の仕方、コンセプトの修正と創出、変数とその関係の分析方法など、知識創造の方法論がわかりやすくコンパクトにまとめられていて、入門書として高く評価されているのも納得だ。ただし、質的方法とジャーナリズムの認識については、今から見ると?のつく部分がある。
質的方法に関する著者の認識への違和感は、佐藤郁哉氏の『実践フィールドワーク入門』が指摘している通り(そのうち紹介します)。ジャーナリズムについては、「唯一可能なジャーナリズムの形態は、やはり科学的方法に基づいた客観的報道」としているが、現実の新聞を見ていれば決してそうでもない。とはいえ、全体の価値を損ねるようなものではない。
本書の価値は知的生産の方法論に加えて、運動家にありがちな経験重視・方法論軽視の傾向にあった著者が、いかにして方法論の重要性に気付き没頭していったかの試行錯誤が詳しく書かれている点にもある。その個人ヒストリー自体が知的生産の大切さを物語っており、単なる方法論の解説書とは一線を画す要素になっているのだ。
本書の初版は1979年発行で、手元にある本は31刷。著者はこの本を出版した2年後、50歳で鬼籍に入った。若くして亡くなられたのが惜しまれる。
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