フロー体験
先日の書評で触れた「フロー」という概念は、元をたどると心理学者のM.チクセントミハイが提唱したものだ。大学院の知人から勧められたこともあり、彼の著書にあたってみると、これが色んなところに適用できそうな話で確かに面白かった。物質的な満足を満たした結果、かえって希望が持てなくなった現代社会において生きることの意味を喚起してくれる概念、といった文脈で今後どんどん使われていくんじゃなかろうか。
今回通読したのは『フロー体験 喜びの現象学』(M.チクセントミハイ 世界思想社)。本書によると、フローとは一つの活動に深く没入しているので他の何者も問題とならなくなる状態、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをすることのために多くの時間や労力を費やすような状態を指している。この概念がなぜ重要かといえば、人間の幸福に直接関わるからである。
ここでいう幸福とは何か。本書には次のように記述されている。
「幸福という物は偶然に生じるようなものではないということである。それは幸運や偶然の産物などではない。それは金で買えたり、権力で自由になるというものでもない。それは我々の外側のことがらによるのではなく、むしろ我々がことがらをどのように解釈するかによるものである。」(P2)
「人を真に満足させるのは痩せたり、金持ちになったりすることではなく、生活を喜ばしい物と感じることである。」(P7)
このように、本書の幸福観は外的な要因ではなく、生活に対する自分の感じ方という個人の内側にあるとの観点に立脚している。外部で起こっていることとは無関係に、ただ意識の内容を変えるだけで人は自分を幸福にも惨めにもできるというわけだ。その例として、アルプスの谷間で伝統的生活様式に従って生きる老女や、アメリカの工場で誰からも仕事ぶりを尊敬されているベテラン溶接工、荘子に登場する古代中国の包丁さばきの名人、丁があげられている。彼ら彼女らは多くの人々が退屈に感じる仕事の中に挑戦の機会を見出し、活動に没入することによって意味あるものに昇華した。すなわち、普段の仕事をフロー化することによって、幸福になったというわけだ。
仕事や生活そのものを意味を見出し、フロー状態とそれがもたらす自分の成長を生きる喜びの源泉とする。そんな本書の幸福観は、一般の人びとにとって望ましく、有効なものではないかと思う。金持ちになってちやほやされるとかフェラーリに美女はべらせて見せびらかすといった「外側」に目標を見出して生きるのもアリなんだろうけど、成功した起業家を見ていると彼らはそもそも欲望の総量がケタ違いであまり参考にならない。仮に目標の成果を実現してもそこで燃え尽きるか、歩むべき道を見失った迷える子羊と化すか、さらに目標をインフレーションさせていくかしかないし、そもそも外側の結果ではなく「内側」の過程に焦点を当てる方がシンプルに楽しめると思うのである。
では、どうすればフロー状態をつくり出せるのか。本書ではそのための条件をさまざまな角度から探っていく。そこでの中核は意識の統制にある。もともと、我々の意識は心理的エントロピーによって望ましくない対象にねじ曲げられ、せっかくの心理的エネルギー、つまり注意は浪費させられやすい。しかし、意識が統制されている人は思うままに意識を集中する能力を持ち、気を散らすものに心を留めず、目標を達成するまで注意を集中する一方で、目標達成の後まで注意を持ち越さない特徴を持つ。これができる人は日常生活の一般的な過程を楽しんでいるという。
そして、最終的には生活のすべてを統合されたフロー体験に変換し、それが達成されて自分が自分の生活を支配していると感じるとき、それ以上望むものはなくなり、満たされない欲求が心を乱すことはなくなる、らしい。この最終的なフローの段階へ至るのには、個人の生活に形と意味を与える目標たるライフ・テーマに心理的エネルギーを統合することが重要だとしている。
このライフ・テーマを見出すこと、つまりは無秩序のなかから意味のある秩序を見出すことは、簡単なようで相当困難だ。たぶん本当に意味のあるライフ・テーマとは個人のなかで完結するものではなく、きっと著者が指摘しているように人間全般に一般化されるようなものであるからだ。だから、本書で述べられていることは非常に意義深いのだけれど、いざそれを現実にしてみようとすると、かなりもどかしい思いするだろう。ライフ・テーマの発見が簡単にできたら、こんなに覇気のない人たちが多くなるわけないし。
でも、ライフ・テーマと仕事が結びついたら、ものすごく生産性は向上するのだろう。何が言いたいかというと、企業が今後社員の生産性を上げようとするなら、ライフ・テーマを発見する支援をするようなアプローチが有効になるのではないか、ということだ。もちろん企業に限ったことではなく、学校でも家庭でも、ライフ・テーマを持つことはとても意味のあることである。で、今後はこのライフ・テーマの発見とフロー体験を支援するメソッドなり能力の開発が注目されていくことになると予想する。
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コメント
お久しぶりです。最近はなんだか哲学みたいなモノにハマってしまい、色んな本を流し読みしています。この本、興味ありますね。ぜひ読んでみたいと思います。
投稿: Naeo | 2007.04.17 22:52
おーチクセントミハイ!!
もしやK氏のプレゼン聞かれましたか?
私もフローを修論になんとか入れたいと思ってます。今村浩明の『フロー理論の展開』って本もわかりやすくていいです。
またいい文献などありましたら教えてくださいね。
投稿: | 2007.04.19 00:55