手に入れろ、尾崎のジャンボ♪
鳥居みゆきがR-1ぐらんぷり決勝進出!
歴代の優勝者を見ると優勝しても必ずしもどうにかなるってわけではなさそうですが、おっさんメディアにまで注目されるようになったのはいい傾向です。というか、わりとひねたおっさんが好きそうな芸風であるかもしれません。わりと知的な要素があるので。
先日も某所で鳥居みゆきはどの辺が知的か、猫ひろしとはどこが違うのかという話になりました。猫ひろしが悪いということではなく、似たようなスタイルなのに発信しているものが全然違うのはなぜかという議論ね。それは、まあ次のようなことではないかと。
たとえば、白紙のスケッチブックで紙芝居をみせる「妄想紙芝居」というネタがあります。心を病んだ人が自分にだけ見えている絵で紙芝居を続けるかの如き姿に、初見の人はまず背筋にヒヤリとしたものを感じ、やがてそのシュールなおかしさに笑いが発生するというものです。
一方、出典は忘れましたが鳥居は「見えるものだけが世界のすべてじゃない」というようなことを発言しています。「見えざるものを観る」というのは、社会学者やら哲学者やらが一生懸命取り組んでいることです。その意味では、妄想紙芝居にはけっこう深いメッセージが隠されているのではないか。
しかし、もう一度「妄想紙芝居」を見かえしてみると、やっぱり心が別世界にある人の妄想をシュールに提示しているようにしかみえない。ということは、「見えざるものを観る」なんていっても、実は妄想と紙一重だ、という批評ともとれます。
まあ、以上はこっちの勝手な想像で、本人がそんなことを一々考えてネタをつくっているのかはわかりません。ただ、受け手がそうやっていろんな見方をする余地がたくさんある、複雑性のある芸であることは間違いありません。複雑性といえば、いろんな言葉の結び付け方、張り巡らせ方もすごい。
狂気的な演出が批判されることもあるようですが、カンニング竹山とのかけあいをみればわかるように、狂気的な人物造形を笑いの対象にしているというより、むしろ一般人が振り回される姿を笑いに転嫁しているのではないかと。もちろん、嫌いな人は受け付けない芸風だろうけれど、R-1取って欲しいなあ。
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