クリエイティブ資本論
リチャード・フロリダの『クリエイティブ資本論』通読。フロリダの本としては既に『クリエイティブ・クラスの世紀
』が翻訳されているが、本国での出版の順序は『資本論』のほうが先である。その内容を踏まえて『世紀』は展開されているため、先に『世紀』を読んでしまった人の多くは、彼の主張がよくわからずじまいだった。訳者と出版社はなんでわざわざ読者を混乱させる判断をしたのだろう?
それはさておき、フロリダの主張するクリエイティブ資本理論の肝は「クリエイティブ資本を保有する人々が好む地域に経済成長が生じる」というものだ。そのメカニズムは次のように説明されている。
<地域の経済成長は、多様性があり寛容で新しいアイデアに開放的な場所を好むクリエイティブな人々が原動力となる。多様性があればその場所は、さまざまなスキルやアイデアを持つクリエイティブな人々を惹きつける可能性が高くなる。クリエイティブな人々が混じり合う場所では、新しい組み合わせを生みやすい。そのうえ、多様性と集中が重なることで知識の流れが速くなる。より大きな、多様性に富むクリエイティブ資本の集積が、イノベーションの可能性を高め、ハイテク企業の設立、そして雇用の創出や経済成長に結びついていく。>
フロリダは労働者を「クリエイティブ・クラス」と「サービス・クラス」「ワーキング・クラス」に分類。米国の人口が100万人以上ある49地域をクリエイティブ・クラス人口の比率でランク付けし、①人々の階層(クラス)による地理的な再配置が進んでいること、②クリエイティブ・クラスの中心地が経済的な経済的な勝ち組である可能性が高い一方、ワーキング・クラスが集中する地域は経済的に停滞していると指摘している。
ちなみにクリエイティブ・クラス比率の高い都市は上からワシントンDC、ローリー=ダーラム、ボストン、オースチン、サンフランシスコと続く。また、ラスベガスのようなサービス・クラスの中心地は仕事を増やしているが、その多くは低賃金で将来性がないとする。
こうした本書の主張は箱モノ投資や戦略なき企業誘致しか能のない地方自治体に反省を突きつけ、新たな地域振興策の方向性を示している。またクリエイターを自認するような人たちにとって、とても受けがよさそうでもある。
ただ、話として面白いのは確かなんだけど、フロリダの主張を鵜呑みにしてはいけないなあとも思う。というのは、クリエイティブ・クラスの定義をみると、それは本当にクリエイティブか、と思われる職業が含まれているからだ。
本書の定義によると、クリエイティブ・クラスは芸術やデザイン、メディア関連といった一般的にクリエイティブと考えられる職業だけでなく、コンピュータ関連や金融サービス、法律、医療などまで含まれている。これだと自らを「IT土方」と自虐的に呼び、栄養ドリンク飲みながら机にへばりついて働くSEまでクリエイティブ・クラスってことになってしまう。
一方、製造に関する職業はワーキング・クラスに含まれているのだが、例えば工場労働者がみんなでカイゼンに知恵を絞りまくるトヨタみたいな会社の扱いはそれでいいの、といった問題もある。まあ、トヨタをクリエイティブ・クラスに分類するのも違うと思うけど。
だったら、わざわざクリエイティブ資本うんぬんなんて言わなくても、ナレッジワーカーの概念で説明しておけばいいんじゃね、と思いますた。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント