貧困を語る者の貧困
下流社会やワーキングプアがメディアのキーワードになって、これらのテーマを扱った本が増えているけれど、人々の同情を集めやすいテーマであるのを良いことに、けっこうテキトーな話を紛れ込ませている本も見受けられる。
『ルポ 貧困大国アメリカ』もそんな一冊。
本書はNYと東京を行き来するジャーナリストが、アメリカで暴走型市場原理システムが弱者を追い詰め、貧乏人はどうあがいても貧困から抜けられず、より困窮していく様子をルポしている。
貧困層が充分な医療を受けられなかったり、軍隊や民営化された軍事サービス会社にリクルートされ、ひどい扱いを受けている等々のルポは赤いバイアスがかかった感はありつつも、とても興味深い内容である。しかし、経済がからむ話題になると、途端に記述があやしくなるのはどうしたことか。ちょっと長いけど以下引用。
<経済重視型の民主主義は大量生産大量廃棄を行うことによって、確かに加藤さんのいう日常生活の便利さをもたらした。能力主義で目に見える利益に価値を置くこのやり方を使うならば、戦争はもっとも効率のよいビッグビジネスになるだろう。
しかしもう一つ、それとは別の、いのちをものさしにした民主主義というものがある。ゴールは環境や人権、人間らしい暮らしに光をあて、一人ひとりが健やかに幸せに生きられる社会を作り出すこと。前者では国民はなるべくものを考えない方が都合がよく、その存在は指導者たちにとっての「消費者・捨て駒」になるが、後者では国民は個人の顔や生きてきた歴史、尊厳を持った「いのち」として扱われることになる。>
突っ込みどころ満載で、どこからどう突っ込んだものですかね…。だいたい「経済重視型の民主主義」「いのちをものさしにした民主主義」って分類は何だ? なぜここで唐突に民主主義を持ち出すのかな。
まあ類推すると、著者は経済重視の社会が人々を指導者の「消費者・捨て駒」にしていると批判し、それとは対極的な人間らしい暮らしのできる社会をつくりましょうと言いたいのだろう。
しかし、貧困層が生まれる理由は基本的に職がない、あるいは職があっても充分に生活できるほど稼げないからであって、ちゃんと生活できるだけ稼げる職をつくり出すのは極めて経済的な問題であるし、人間が人間らしい暮らしをするにはお金と物資・サービスが必要である。つまり、国家はマクロ経済政策をきちんとやらなきゃいけないし、民間はビジネスチャンスをモノにして生産し、稼がなきゃいけない。経済を重視しないでどう貧困を解決するの?
で、著者は日本のワーキングプアや医療制度崩壊といった問題をアメリカの現状に重ね合わせ警鐘を鳴らすのだけど、おそらくアメリカと日本の貧困はそんな簡単に同列にできるものではないだろうなあ、と思う。
もちろん、ビジネスにおける競争が激化しさまざまな形で人件費が削られて社会のより弱い層にそれがのしかかっているというのはあるけれど、たとえば日米の一人当たりGDP推移を2000年→2006年で見ると、アメリカが34,280→43,562ドル、日本が36,790→34,252ドル。為替の影響もあるけど、概ねアメリカが着実に増えているのに対し、日本は絶賛停滞中と言える。
ざっくりまとめてしまうと、アメリカでは一人当たりのGDPが増えているのに格差が開き、日本では全体としてジリ貧に陥っているということだ。ということは、アメリカでは富の分配が課題であり、日本では富をもっと増やさなきゃならないとの見ることができ、日米では処方箋も違うだろう。日本で分配の問題がないと言っているわけじゃないからね、念のため。
そうそう、このテーマでは定番のグローバリゼーション批判も展開されているけれど、一方で飢えと隣り合わせだった中国やインドあたりの国々に豊かさをもたらした事実に触れないのは不誠実だし、ご都合主義的である。アメリカの貧困をテーマとした本で憲法話が出てくるのも鼻白む。
貧困をなんとかしようという問題意識は尊くても、問題を扇情的にあおったり、感情論で分析してもろくな結果にならないんじゃないかな。
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