« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009.11.24

『うつ病をなおす』

 うつ病とはいったいどんな病気かを知るために、何冊か入門的なうつの本を読みました。その中から、よくまとまっていた『うつ病をなおす』(野村総一郎 講談社新書)のまとめを以下にメモっておきます。長いよ。

 うつ病とは何か? 現在の精神医学の考え方では、ほとんどのうつ病は以下の三つに分類されることになっている。

<実は「うつ病」と一口に言っても、いささか種類の異なる三つのタイプから成り立っている。「うつ病性障害」「双極性障害」「気分変調症」である。>

 それぞれのタイプについて、著者は具体的な症例をあげて説明している。「うつ病性障害」では、ベテラン小学校教師の嬉野さんと、小さなブティックを経営している宇都宮さんのケースで、もちろん名前は仮名である。

<職場でも学校でも問題山積のように感じられ、気持ちは焦るのだが、考えは進まない。とにかく体がだるく、何もかも投げ出したいと思うのだが、休もうとしてもかえってイライラするだけで、どうすることもできず、部屋をうろうろを歩き回る状態になるに至って、夫もさすがに以上に気付き、私のところに嬉野さんを連れて相談に訪れたのである。>

<昨日の商工会での時計屋の時野さんと、ラーメン屋の面藤さんの意見対立が気になる。これをうまく折り合いをつけないと、商店街全体を巻き込むトラブルになるかもしれない。(中略)最近のアパレル業界も変化が激しい。頑固に自分のセンスにこだわっていてはダメだという意識もある。どこかで勉強しなければ。焦る。いや、いや、それは自分の店のことだ。自分勝手だ。役員としての責任はどうなる。それやこれやの想いが駆けめぐった。
「もう解決方法はない。追い詰められた」
 そう感じた。
 こうして思い詰めた宇都宮さんは、衝動的に自宅で首を吊ろうとした。>

 その上で、うつ病性障害について次のように解説する。

<(両ケースとも)職場のトラブル、受験、多忙などの、まあどこにでもあるストレスがきっかけとして存在した。お二人とも、もともと地味だが、ひどく生まじめ、几帳面、頑張り屋、悪い面で言えば、頭が硬い性格の人である。うつ病性障害はこのような性格の人が、このような状況に陥った時に生じることが多い>

 一方、双極性障害はウツに加え、正反対の状態である躁を示すのがうつ病性障害との最大の違いである。このタイプはうつ病性障害と比べるとかなり特殊で、成人人口の1~2%がこの病気を経験するとされているが、最近の研究では3~4%とのデータもあるという。また、双極性障害とうつ病性障害の違いとされていることに、病気になる前の性格がある。うつ病性障害はまじめで堅い印象だが、双極性障害は「この人がいるとにぎやかになる、というタイプ(これを循環気質と呼ぶ)が多いようである」。

 気分変調性障害は「ひどくはないが、慢性的なウツ状態がずるずると続く」というものである。どちらかと言うと若い人に多く、躁状態を示すと気分循環性障害という別の数が少ないタイプに分類されることになる。

 いずれのうつ病も中心はゆううつ気分である。そう言うと誰でも感じる気分のように思えがうつ病のウツ気分と普通の人が感じるそれとでは、かなりの差があるという。

<その差を一言で言えば、うつ病のウツ気分は「質・両ともに重い」、つまり「強さにおいてはるかに強く、持続においてはるかに長く、苦しさにおいてはるかに苦しく、生活の障害される程度においてはるかに深い」ということになるであろう。>

 何を見ても聞いても、楽しさが湧いてこない。「つらさすら感じない、何の感情も湧かない」と表現する人も多いという。ただし、その空疎なすき間を埋めるかのように、イライラ気分が生じることもある。悲観的で後ろ向き、悪い事態のみが視野に入り、暗澹たる考えだけが頭の中をぐるぐる回る。この円環から抜け出す方法として、うつ病者はしばしば自殺に思い至る。

 うつ病の思考がさらに極端になると、妄想に発展することも稀ではない。ただし精神病のそれとは異なり、その特徴は自己否定にある。金持ちなのに「もうお金が一文もない」と考えたり、何の失敗もしていないのに「みんなに迷惑をかけて、死んでお詫びするしかない」と悲観的、自罰的な色彩を帯びるのである。

 ほとんどの場合、うつ病にかかると眠れない。一晩中、暗澹たる考えがぐるぐる回るのだから、その苦しさは相当である。食欲も落ちる。すべての欲望が低下するので、食欲も失せるのだ。体調も優れなくなってくる。

<いろいろな身体症状が出てくるが、多いのは一般的な疲れやすさ、頭痛、手足のしびれ、寒気、全身の汗、口がカラカラになる、めまい、肩こり、吐き気、ひどい便秘などである。>

 ただし、以上の症状は心と体の中のこと。周囲の人から見たときに、"元気なく見えない"ことも少なからずある。

<うつ病者はしばしば「必死で無理をして」「まわりにウツを気づかせないようにし」「その必死がばれないように、また必死で努力する」という性向があるので、結構動き、結構明るくしているように見えることがあるのだ。>

 また、前述した三つのうつ病以外にも、特殊なうつ病が存在する。仮面うつ病や非定型うつ病、軽症うつ病などである。

 治療の基本は生活面への配慮で、中でも重要なのが「可能なかぎり休養させる」ことである。だが、これが意外に難しい。仕事のある人が急に休みを取ることは困難であることと、うつ病者は「休むなんてとんでもない」と考えるからだ。周囲の人は叱咤激励をしてはいけない。気晴らしにに誘うことも大禁忌である。「何もせずにいることが基本だ。

 うつ病治療の中心は薬物療法である。投薬にはその道筋と順番を示した「治療薬アルゴリズム」が定められており、本書ではその内容が紹介されている。薬以外にも通電療法や磁気刺激法療法、精神療法などがあり、本書では認知療法について多くのページが割かれている

<その(認知療法の)基本は「人間の感情は、出来事によって生じるのではなく、その出来事をどう考えるかによって決まる」「だから感情の問題が生じた時には、考え方を変えるようにすればよい」というものだ。>

 さて、人はなぜうつ病になるのか。病因論はいまだ「確かな所見は乏しい」のが現状だが、著者は自身の仮説を次のように述べている。

<私はうつ病者の性格というのは、「遺伝子に根ざす重みづけ機能不全」から派生した「こだわり特質」に、さらに社会的な役割性が加わることにより、二次的に形成される面が大きいと考えている。社会的に役割を果たすに際して、「こだわり」とか「几帳面さ」は「ある確立したルールに従う傾向」を生みやすい。自己判断をせず、社会で「これがよい」とされている方向に従えば、判断を保留しながら仕事を進められるので、無駄なエネルギーを消費せずに済む。つまり、一種の自己防衛として、社会の価値観と一体化するのである。これらのことを長年にわたって学習した結果、うつ病者の性格は社会性を一層帯びるようになるのではないだろうか。こう考えると、本来的に「他人に配慮をする」ことをよしとする文化圏の日本において、うつ病者の性質が他者配慮的になることがうまく説明できる。>

| | コメント (0) | トラックバック (2)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »