2005.10.14

帰国しますた

昨日朝、バンコクより帰国しますた。
今回は「戦場に架ける橋」で有名なカンチャナブリーのラフティング・ハウス(要は川に浮かぶ宿)でビール飲みながらぼーっと水面の蓮の花を眺め、ハーバルオイルマッサージで積もり積もった心身の疲れをほぐし、バンコクの中華街で和盛豊酒店のフカヒレスープと焼きエビをしこたま食ってきた“だけ”。我ながら、金の面ではぜいたくになったけど、時間の面ではプアーになったなぁ…。
写真は「戦場に架ける橋」。意外と小さい。
IMG_1159

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2005.01.06

業務連絡

本日、チェンマイよりバンコクへ移動。
明日の飛行機で帰国します。
といっても、到着は明後日の早朝ですがorz
お土産の希望品がある人は早めにご連絡を。

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2005.01.02

謹賀新年っす

バンコクに到着した途端、空気の悪さにミャンマーの土埃で
疲労気味の気管支が反応し、ひゅーひゅー鳴り出しやがりました。
そんなわけで、明日からチェンマイへ㌧できます。
ろくでもない一年のはじまりではありますが、ろくな一年のはじまりと
いうのもあまり想像できないし、まあいつものこと。のんびりいきます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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2004.12.30

スマトラ沖地震の被害にはあっていません

スマトラ沖地震の発生時、私はミャンマー(ビルマ)の内陸部に
滞在していたため、大きな揺れは感じたものの、被害を
受けることは一切ありませんでした。ヤンゴンやマンダレーで
何かあったということは一切見聞きしていません。
心配してくだった皆さま、どうもありがとうございます。
それにしても、被害者が5万人を超えるとは!

あの地震がこれほどの惨事になっていたとは、こちらの通信
事情が非常によろしくないため、実は昨日になって気がつきました。
一瞬、取材へ向かおうかとも思いましたが、この時点ですでに
出遅れているわけですし、映像機材もないので、このまま飛行機を
予約した1月7日まで粛々と旅を続けようと思っています。

ちょうど今、仏跡で有名なバガンという土地に滞在しています。
普段はぜったいそんなことはしないのですが、無数に点在する
この地のお寺をめぐるたびに、ひたすら被害者のご冥福を祈っています。
今回の旅行ではビルマではなくタイのビーチへ行こうかとも迷って
いたので、自分が波にさらわれていてもおかしくはなかったわけで、
なんというか、この国のあちこちにある日本人慰霊碑の光景とともに
人の世の無常を感じるばかりであります。

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2004.12.26

ヤンゴンのタクシーにて

運転手「お前知ってるか? この国は昔日本だったんだぞ(笑)」
おいら「下手したら、今頃あんたも日本人になってたんだな(笑)」
運転手「そしたらもっとリッチだったけどな(笑)、俺はここが気に入ってるよ」
そんなわけで700キップの料金に対して1000キップ札を渡し、
釣りはいらないよんと言ってみた(1$=920キップ)。

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2004.12.25

ヤンゴン♪聖なる鐘の音が♪(プリンセスプリンセス風味)

日本のうざいクリスマスとは無縁のミャンマーだが、なぜだか
休日ではあるらしく市場へ歩いて行ったら休みだったorz
ヤンゴンで出会う人々は皆一様に親切で穏やか。しかし
地域的に印度顔や中国顔の方が多いもんで、本国の連中の
図々しさとのギャップに戸惑いまくる。穏やかなインド人ってのもねぇ。
明日からマンダレーへ。その後はパガン、そしてタイへ向かう予定。
しばらくメール見られないかもしれません。

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2004.12.23

㌧でクアラルンプール

出発前の無茶と長時間飛行機に乗っていた疲れのため、
本日はチャイナタウン界隈をうろつくのみ。
前の旅行で知り合った、今こちらに留学している女子大生とランチ。
南香飯店の鶏飯を彼女のおごりにて。
お返しにスタバでお茶をご馳走。カフェラテ一杯RM8.8(約270円)
ティラミスRM15。デザートは日本スタバよりこちらの方が美味。
ちなみに鶏飯よりカフェラテの方が高いですから!
昼寝後、晩飯に肉骨茶。RM8.6で中国茶付き。
トランジットのため立ち寄ったマレーシアではあるが、人はとても
いい感じだし、食事はマレー飯、インド飯、中国飯と揃っているし、
ちょっと足を伸ばせばビーチだし、時間を確保しておかなかった
ことが心の底から悔やまれる。

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2004.12.22

ただ今成田空港

なんかね、周りがカップルとかファミリーばかりなんですよ。
一人でザック背負ったおっさんなんて俺しかいないわけですよ。
ヤフーカフェの目の前の席では毛唐のカップルが
二人でひとつの画面みながらいちゃついてるわけですよ。
ランチはしょぼいメニューで1000円以上とるんですよ。
今頃忘れ物に気がついたりするわけですよ。
出発前・出国中の仕事は増えるのに帰国後の仕事は
突然キャンセルされるわけですよ。

さあ、フライトの時間がきた。
そんな感じで南の国へ逝ってきます。

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2004.06.16

サダムの時代

先週、知人のフォトジャーナリストがイラクへと旅立った。
十分な経験と実績を持っている人物ではあるが、日本人であることが
標的にされる理由となる現在、心から無事を願わずにはいられない。

先日の橋田信介氏の事件の際、小泉首相はだから危ない所に行くなと言ったのに、
という趣旨の発言をした。そこには、あんなところに行く奴は国家の迷惑だ、
自業自得の間抜けだみたいな印象を与え、世論を操作する意図が透けて見える。
彼らにとっての不都合な情報はできるだけ抑えたいだろうから、統制のきかない
フリーのジャーナリストなんぞにウロウロして欲しくないのだろう。
実際、サマワで露骨な情報統制が行われていることは、月刊現代7月号で
小野一光氏がレポートしている。

しかし情報統制の行き渡った社会がいかに唾棄すべき、ろくでもないものになるか。
皮肉なことに、それはフセイン政権下のイラクの不毛さが如実に表している。
サダムの時代(中央公論新社 相原清+久保健一+柳沢亨之)は、そんな
フセインの支配体制を、同時代を生きた3人の個人史から検証した一冊である。

焦点を当てられたのはフセインを支えたバース党の中級幹部と反体制作家、そして
クルド人の女性兵士という、壮絶な人生を歩いてきた人物たち。
フセインが国家権力を手中に収める過程の中で、それぞれがどのような思いで
権力に組み込まれ、あるいは戦い、ときに迎合してきたか。一筋縄では
いかない人生が、イラクの政治史とともに描写されている。

フセイン体制が崩壊した後もイラク情勢は混迷を深める一方のため、報道の
内容が現状のフォローばかりになりがちなのは仕方のない面もある。だが、
フセイン政権というかなりいびつな国家体制がなぜ成立し、そこで何が行われて
いたかを知ることは、日本がイラク問題にどう関わっていくかを考える上でも
欠かせない行為である。ブッシュのご機嫌だけ取ればいいというものではない。
本書はその参考になるのはもちろん、かなり徹底した取材がなされた成果として、
読み物としても優れた出来になっている。

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