« モデル原稿 その1 | トップページ | モデル原稿 その3 »

2006年4月14日 (金)

モデル原稿 その2

体調が回復してから、宮内さんは再びアルバイトでお金をためて海外へ出る生活をしていたが、26歳になってある業界紙の記者として働き始めた。

「25歳を超えたら急にアルバイトの口が狭まって、こりゃ手に職つけなきゃダメだとやっと気づきました。じゃあ、どんな仕事をしたいかといったら、記者や編集者の仕事がいいなぁと。自分の知りたいテーマに取り組めて、時間的にも自由がきくイメージがありましたから。でもその頃にはバブルは崩壊していて、そんな甘い考えの25歳をを採用してくれる会社があるわけもなく(笑)、だいたい履歴書の段階ではねられ続けました。

ですから、長い就職活動の末、最終的に決まった会社は非常に待遇が悪かった。

というか、募集の時にきちんと給与額を明示していないような会社。実際、最初にもらった給料は7万円でした。翌月が10万円。それから半年くらい12万円の時期が続いたでしょうか。毎日取材に数社訪問するのですが、その交通費も自分持ち。今はどうなっているかしりませんが、トップが世間のルールなんか無視して好き放題やっている、極端な会社でしたね。

そのトップにはこんなことを言われたのを、よくおぼえています。
『お前にはこの金額でも払いすぎや!』
すごく頭にきましたけど、一方で納得もしました。確かに、ほかにどこも雇ってくれなかったような人間ですから、アウトプットとの対価でみたらその通りだと。だったら給料のことは一度忘れて、よその会社にすぐ転職できるくらいの技量をまずは身につけようと決めました。幸か不幸か、待遇が悪く人はどんどん辞めていきますから、仕事はいくらでもあった。

業者の店舗を数件まわって経営者に話を聞き、必死で原稿を書く毎日。放浪に憧れるタイプですからビジネスなんかこれっぽっちも興味はなかったんですが、やってみるとこれが楽しかった。会社の大小の差こそあれ、一人でリスクを背負って事業を起こすような人は強烈なエネルギーと個性の持ち主が多いから、世間話をしているだけでも刺激的だし、自分が企画・執筆した記事に対して反響や問い合わせがあるとすごい感激がありました」

この会社には2年半在籍し、1000件弱の取材経験を積んだ後、宮内さんは退職し再び1年間、海外放浪にでた。それは「20代のうちにどうしてもチベットに行きたかったから」という。

|

« モデル原稿 その1 | トップページ | モデル原稿 その3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モデル原稿 その2:

« モデル原稿 その1 | トップページ | モデル原稿 その3 »