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2006年9月11日 (月)

ブランドプロデューサー 鴫原弘子さん③

最先端をいく2社で、週3日ずつ働く

 憧れていたファッションの世界に入り、実績を残しはじめた鴫原さんの目には、業界のいろいろな面も視野に入るようになった。

「テキスタイルデザイナーの先輩を見て、実力さえあればフルタイムではなく必要なときだけ来て働く働き方もできるんだと知る一方で、周囲を見るとデザイナーが現役で働けるのはだいたい35歳くらいまでとわかりました。しかし、それでは長く働けません。

 そんな時期に存在を知ったのが、コレクション情報の解説やファッション業界向けのコンサルティング等を行っている、バンタンデザイングループの織部企画でした。ここならもっと多くの人に向けてファッションのディレクションをできるし、長く働くこともできる。そう思って、募集広告も出していないのにアポをとり『どうしたら会社に入れてもらえますか?』と聞きにいったら、専務が『その心意気が気に入ったから、うちに修行に来なさい』と言ってくれました。

 ここではファッション情報を分析し、マーケティングをかけ、契約会社のニーズに合わせた提案を行っていて、私は先輩コンサルタントのアシスタントとしてスタート。すぐに1社、ワンマイルウェアを手がけているアパレルをクライアントとして担当しました。

 その頃は日産がBe-1という車をヒットさせたように、ファッションが服飾以外にも広がろうとしていた時代でした。で、Be-1のデザインを手がけたウォータースタジオの坂井直樹さんにいきなり電話をかけて『話を聞かせてほしい』といって会いに行き、給料はいらないから会社が休みの日に、勉強のために働かせてほしいとお願いしました。

そのことを織部企画の専務に伝えたら『仕事は契約にしてあげるから、うちと向こうと半分ずつ行けばいいよ』と言ってくださって、結局、両方で仕事をすることになりました。織部での仕事は先輩とクライアントのケアさえしっかりしていれば、毎日通わなくても問題ありませんでしたから。もちろん、給料はガクっと下がりましたよ」

両社にはそれぞれ週に3回出勤し、ウォータースタジオでは坂井直樹氏に師事して、リカちゃん人形のドレスや小物のデザイン開発、ワコールの新規ブランド開発などを手がけた。

 当時、鴫原さんは20代半ば。恐るべき行動力である。

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