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2006年9月13日 (水)

ブランドプロデューサー 鴫原弘子さん⑤

すべての仕事をやめて、子育てに専念

 順調に実績を重ねていた鴫原さんだが、ある時、一斉に仕事を辞めて専業主婦の生活を送り始めた。再婚した夫との間に生まれた娘の訴えが、そのきっかけになったという。

「娘が小学校に入学して間もない頃、仕事で遅く帰宅したら『普通のお母さんがいい!』といって泣いたんです。以前、私が保育園の弁当を忘れたことがあって、字をおぼえたばかりの娘が、冷蔵庫に『おべんとう、えんそく』と書いていたこともありました。

その時は忙しくて気がつかなかったのですが、娘はずっとさびしい思いをしていたけれど気持ちを伝える術がなかった。それが小学校に入って言葉をおぼえ、感情を表現できるようになり、やっとその思いを訴えられるようになったんですね。

娘の涙を見て、私は母として足りなかった分を全部埋めたいと思いました。幸い、アマガサの社長は『うちの仕事も大事だけれど、お母さん屋であることがあなたにとって一番大事だから』といって下さいました。

でも、母親業って何をしたらいいかわかりません。それで専業主婦の友人に電話して『主婦の1ヵ月のタイムスケジュールはどうなっているの?』と尋ねたら、『そんなものないわよ』といわれてびっくりしたり(笑)。で、地元の子育てサークルや母親勉強会を紹介してもらって、一緒に活動するようになりました。

娘とは一緒に台所に立ってパンやケーキをつくったり、ジェニーちゃんの服をつくってあげたり、『モノより思い出』ではないけれど、一緒に何かをする時間を大切にしました。あとは料理、掃除、お洗濯など、女性として生活の知恵を身につけさせることを重視しましたね。それが母親の仕事だと思ったんです。

その時期には勉強してカラーコーディネーターの資格を取りました。以前から取得しようと思っていたのもあるですが、何より母親が一生懸命勉強する姿を娘に見せたかったんです。今、高校生になった娘はそうやって育てたせいか、私にそっくりな性格になりました。何かに夢中になっていないと安心できない、目標を持って物事に取り組む――。

仕事に復帰しはじめたのは娘が小学校5年生にあがった頃でした。『お母さんお仕事したいんでしょ。デザイナーに戻って頑張ってね!』と言ってくれたからです。ただし、出張には行かないで、と条件を付けられましたが。母が認知症を発症したこともあって、あの頃は長く自宅を離れる仕事できませんでしたが、娘も高校生になり、母の容態も落ち着いたので、昨年からは海外出張に出かけています。

主婦業に専念するためには経済的な裏づけも必要である。その点はどうしていたのだろうか。

「夫の収入、それまでの蓄え、それから自宅の一階を貸していたので、その家賃収入がありました。でも、そのときは生活費をどうしようなんて、まったく考えていなかったですね。とにかく、ちゃんと子供を育てたいと思ったんです」

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