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2006年11月12日 (日)

ファッション流通IC 齊藤孝浩さん②

入社3年目でロジスティックの仕組みを一から構築

 齊藤さんは1988年に明治大学商学部を卒業後、大手総合商社に入社しアパレル部門に配属された。

「小学生の頃から地理が大好きで、いつかは地球の裏側に行きたいと思っていました。それで学生時代にアメリカを旅したときに『日本は豊かになったといっても、アメリカに比べたらまだまだだな…』と実感して、海外からモノを輸入する仕事をしたいと思ったんです。アパレル部門に配属されたのはたまたまです。第一志望は食品でしたから」

 商社のアパレル部門は、自社工場を持たないアパレルや小売チェーン向けにデザインの提案から生産工場の選定、条件交渉などを請け負うOEM生産営業を行っている。齊藤さんが最初に従事したのはこの業務で、国内外のデザイン事務所と提携しながら、主に海外生産管理を担当した。

 入社3年目には大手百貨店とイタリアのブランドとのジョイントベンチャーの立ち上げに参画すべく出向し、商品部門の中核メンバーとして輸入・ライセンス生産・物流の仕組みの構築に携わった。

「この会社では輸入及びリブロ生産(日本人向けに仕様を変更して生産すること)、ライセンス生産及びロジスティックスの責任者として出向しました。商品が流れる根幹の部分をほとんど外部の力を借りずにつくり上げるという仕事で、入社1、2年目で原料調達からモノづくり、納品など一通りの流れは徹底してやっていたので、それを深掘りした形です。

 普通、商社は商品を納めるまでが仕事で、在庫リスクは負いません。しかし、この会社ではリスクを負うところまでやりました。商品を企画し、店頭に並べ、残った在庫を処分するところまですべて自分で構築できましたから、その精度はともかく、自分のキャリアの中で非常に大きな経験になりましたね。

 もちろん仕事はハードでした。商社から出向したのは私1人だけでしたし、休めない。一番早く出社して、最後に鍵を閉めて帰宅する毎日でした。その頃の仕事で思い出に残っているのは、『できない』と一度言われた加工技術を実現したことです。

当時、イタリアでしかできなかったニット等のビンテージ加工技術をどうしても実現したいと思いある工場に掛け合ったら、社長から日本の染工の歴史から説明された上で『だからできない』と言われてしまいました。でも、何度も通って社長と仲良くなって、いろいろな提案を行い最終的に実現できたとき、社長が『負けた』と言ってくれたことが思い出に残っています」

出向を終え商社本体に戻ってからは再びOEM生産営業を担当し、年間の海外出張は20回以上、行った国の数は15ヶ国以上という激務をこなした。

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