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2007年1月14日 (日)

ITコンサルタント 柄本和夫さん④

子供が大きくなる60歳まで稼ぎつづけるために

 柄本さんが外資系通信会社を退職したのは2003年。そして翌年にGACジャパンを設立し、外資系企業を中心とした保守運用サービスを開始するのだが、そこに至る様子はまさにグローバリゼーションの荒波に揉まれる小舟のようであった。

「まず、アジア各地のコールセンターはすべてシドニーに統合することになり、各国のスタッフは全員解雇。ただ私はその前にシドニーに呼ばれるという話があって、実際、2001年に現地採用の日本人オペレーターの教育を行うため、しばらく当地で滞在しました。1年前に家を買ったばかりでどうしようかと迷ったのですが、その時はオーストラリアへ移住するつもりでした。

 ところが、勤めていた外資系通信会社が別の企業に買収され、私をオーストラリアへ呼ぼうとしていた上司が突然クビを切られた。それっきり彼女とは音信不通になり、私は1人日本に取り残されてしまいました。合併前の地位はコールセンターマネージャーでしたが、合併後は1スタッフに組み込まれ、その1年後に解雇。いつまでもここで仕事を続けられないとは思っていましたが、そんなことをじっくり考える間もなかった。

 6月中旬に『8月末で辞めてもらう』と通告され、最初は再就職支援会社を通じて転職先を探しました。50歳近くでも嘱託のような仕事ならあるんですが、給料が前職の半分になってしまう。その時は家を建てたばかりで子供もまだ小さかったので、そんなに減ったらやっていけません。日本に上陸したばかりの外資系企業が経営者を求めているという話もありましたが、勤務地が遠すぎて話は成立しませんでした。結局、自分の思うような転職先はない。そこで独立を決めました。

 会社をつくろうという気持ちは以前から頭の片隅にはありました。私は子供が小さいので、60歳まで現金収入を得なければいけない。だったら、いずれどこかで自営業に転じないといけないかな、という考えがあったんです。会社都合なので退職金もそれなりにでましたし、そのタイミングが今きたのだと思いました。

 ビジネスコンセプトは自分が会社に勤めていたときの経験から、『こんなサービスがあったらいいな』というものをそのまま形にしただけです。実は、通信会社時代にお客さんから『英語版のWindowsをサポートしてくれる会社が無くて困っているんだけど、なんとかならない?』といった相談をよく受けていたんですよ。そこは会社が提供するサービスの範疇外なのでやりませんでしたが、この仕事を全部拾ったら食っていけるねと会社のみんなで言っていたんです。それを、はからずも私が始めることになった。

 問題は、どうやってそういう需要のある会社を探すか、です。営業をかけてみましたが、1人企業では全然相手にされなかった。DMをまいても、外資系企業の求人を見て『私を使ってみたら』というメールを投げても、反応はありませんでした。創業した年は自宅にいてばかりで、妻は嫌な顔をしていましたね。収入はないし、ご飯はつくらなきゃいけないし。実際、後で『あの頃はどうなるかと思っていた』と言われましたよ。私もあと何年かやってダメだったら、どこかで仕事を探さなければと思っていました。とにかく借金はしない。借金して家族にリスクは負わせないと決めていました。

 最初の顧客は昔の会社のお客さんで、料金を若干安めにして契約を取りました。私にとってはこれが大きかった。簡単には会社をたためなくなりましたから。あとは東京都のシルバー財団へ行って半年間の仕事を受注しました。シルバー財団の仕事が終わって、さあどうするか。そこでIC協会で紹介してもらったICの支援会社を訪ねたところ、『そういう仕事もありますよ』といわれ、それから一息つけました」

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