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2007年1月12日 (金)

ITコンサルタント 柄本和夫さん②

ドメスティックな環境から外資系企業へ

 保守業務に5年ほど従事した後、柄本さんはデータ通信機器のソフト開発部門に異動した。

「データ通信端末の中のプログラムをつくっていたのですが、最初から開発部にいる同期と比べるとどうしてもスキルが遅れていて、なかなか埋められないジレンマがありました。彼らがつくった開発環境の上で開発を行いますから、どうしてもそうなるんです。

 最終的には開発のコアの部分はもとから開発にいる人間がやり、私は現場へ製品を納めに行ったりお客様向けの話をしたり、応用開発のような仕事を担当するようになりました。私自身、2~3年も続けて同じ製品の開発を続けるのがしんどくて、2~3ヶ月単位でテーマが変わるほうが向いていたこともあります。

 製品を納入したものの、内部の故障ではなくお客様の使用環境、つまり製品の外側に問題があってうまく動かないことはよくあります。そんな時、開発一本でやってきた技術者は自分がつくったものに間違いがなかったかと内側ばかり見てしまいがちですが、私は原因が内側、外側のどちらにあるかの切り分けが一番素早くできた。ずっと現場にいたので、トラブルシューティングの力を身につけていたんですね」

 柄本さんは精密機器メーカーに17年勤務した後、外資系通信会社へ転職した。

「いつまでも同じ開発環境にいるのは嫌だという気持ちがあって、このメーカーにいたときは3回転職を考えました。で、3度目でやっと実行に移したと。この転職の動機ははっきりしていました。会社の経営が悪化して、50歳になったら全員役職がはずされ、給与も下がるというルールができたからです。

 当時、私は子供ができたばかりで50歳まであと10年くらいありましたから、それではたまらない。そこで仕事を探し始め、外資系通信会社に入社が決まりました。もちろん不安はありましたが、浮ついた理由ですが一度は外資系で働いてみたいという気持ちもありましたし(笑)、逆に40歳を超えると外資系しか希望する条件の仕事がないという現実もありました。

 最初の業務は航空会社の予約システム周りの開発でした。ところが、2年目にイギリスにある本社から『開発業務は一切やめて保守ビジネスに集中せよ』という指示が出て、開発サブマネージャーだった私は、新たにコールセンターを立ち上げるミッションを与えられました。つまり、そこからエンジニアではなくなったわけです」

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