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2007年9月27日 (木)

HRD(人材育成・採用)コンサルタント 阿部淳一郎さん③

メンタル面の限界で転職するも…

26a1244d397bf2f91d39l1  24歳といえば男性の厄年。「本当にその通りだった」と阿部さんは振り返る。そこから3年間はやることなすことまったくうまくいかなかったという。

「色々ありましたね。もちろん多かれ少なかれ、企業に入れば、誰でも経験したことがあることかもしれないですが。例えば『○○に電話しろ』と指示をされ、電話をかける。でも、相手が出られないときは当然ありますよね。でも、『相手が出ないのはお前の気合いが足りないからだ』といって怒鳴られることがありました。わけがわかりません。
 

 それと、この仕事で、将来につながるビジネス能力を身につけることができるのか?とも思っていました。教育ビジネスって、すごく利益率が良いんです。しかもビジネスモデルもシンプル。教室があり、そこに先生を連れてきて、後はお客さんを集めるだけでなりたってしまう。その集客も、大学の生協にパンフレットを置いてもらうだけで、相当な人数とお金があつまるんです。

 この仕組みを最初に考え、構築した人はスゴイと思います。でも、仕組みができてしまえば、営業マンの仕事は学校へ行ってパンフレットを置いてくるだけ。あとはキャンペーンの時期にチラシをまくぐらい。それで十分な収益があがるんです。正直、何かを仕掛けるとか、その取り組みを行って費用対効果は検証するといったことまではしていなかった。『営業はやる気だ! 気合いだ!』だけの世界でした。

 そんな世界でしたので、これから社会人としてどうなるのか見通しがまったく立ちませんでした。一般的な会社では先輩を見れば5年後、10年後にはどうなっているかわかりますが、その会社では30歳の人も40歳の人も同じ仕事をしていました。要はチラシ配りがメイン。

 でも、辞めても仕事があるわけではないし、会社員として何の研修も受けたこともありません。このままではマズイと思い、『人の可能性を伸ばす仕事』にはどのようなものがあるかを探し、社会保険労務士の勉強を始めました。本当は労務管理と採用・育成は別物ですが、当時そんな知識はなくて人事のプロなら社会保険労務士だと思ったんですね。結果的に資格は取得していないのですが、新たな一歩にはなりました。

 しかし会社のほうは相変わらずで、1年半でメンタルに限界がきました。もうここにはいられない。営業担当者は本来、講師との接点はないのですが、僕は現場の飲み会に積極的に参加して講師の先生方とコネクションをつくっていたので、先生方に『実は悩んでいます』と相談しました。先生たちも会社の体制がおかしいことには気付いていますから、親身に相談にのって下さいました。

 その中の一人に有名な資格起業家の先生がいらっしゃいました。その先生はご自身で社労士事務所をもち、さらに外部アライアンスとして行政書士事務所や会計事務所などとネットワークをつくって企業設立や給与計算、社会保険業務などを受託する仕組みをつくり、フランチャイズ展開している企業から加盟店が出店する際のそうした業務を引き受けるスキームを構築されていました。要は資格屋というよりも事業開発屋。資格の実務で商売をするのではなく、資格を活かしながらもビジネスプロデューサー的な立場にたって事業を推進されていたんです。僕はその先生の事務所で社労士修行させてくれないかとお願いし、『社労士実務をするアルバイト』として働かせてもらうことになりました。

 しかし、たった二日で『この仕事は自分に合わない』とわかりました。既に経験のある人が入ってくるのが当たり前の事務所だったので、いきなり『これやっておいて』と言われるですが、もちろんできるわけがありません。自信は無くし、仕事はわからず、社内に友だちもいない。その頃はうつ気味でしたね。ただ、腐りたくはなかったので少なくとも自分がスゴイと思ったことを学ぼうと思い、先生が事業開発のスキームをつくるときにどうやって交渉し、打合せしているのか、いつも聞き耳をたてていました」

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